西堀榮三郎 関連情報 |
西堀榮三郎 選集 悠々社 1991 (複数回登場する方のリンクは、別巻からのリンクを優先し、1~3巻の方からは省略しています。) |
|||
1巻 人生は探検なり 西堀榮三郎自伝 刊行のことば──人間・西堀榮三郎 序 章 母の像(1985) 高等小使になるのかい?(1985) 兄からの贈りもの(1986) 息子との山登り(1971) Ⅰ 自 伝 山そして友との出会い 自然探究への旅立ち 人は経験するために生れてきた 負けず嫌い 近江商人の血 山登り事始め 比叡の山へ向けて飛ぶ熱気球 初めての旅 心に焼きついた白瀬中尉の「南極探検報告会」 化学への興味 道具をつうじて自然に親しむ 商人の祭 押し奇せてきた文明の波 山城三〇山跋渉(ばっしょう)と技術への興味 今四錦司との出会い 山に襲われる 北アルプス初見参 「山城三〇山」完登計画 スキー事始め 宇宙への興味 学者から技術者へ宗旨替え 浪人時代 南アルプス縦走 元祖カミナリ族 自由主義のもとで ストライキでオートバイが活躍 アインシュタインとの出会い 楽しかりし三高時代 薬師岳・金作谷(きんさくだに)を下る 関温泉・第一回スキー講習会 ミクロネシア旅行 三高山岳部創設と立山スキー登山 趣味か仕事か、大学進学の悩み 積雪期白根三山初登 大学生活と登山 黒部川東沢合宿、黒岳・赤牛岳・野口五郎岳積雪期初登項 理詰めと直感 フレンドシック 研究と山と 研究に没頭 趣味と研究の矛盾に悩む 一滴の石油合成に成功 手づくりの実験装置 分子線の研究 爆発した実験装置 北白川の新婚家庭 我輩氏、現わる 研究者から技術者へ ヒマラヤをめざして 京都学士山岳会の創設 富士山極地法登山 樺太探検 白頭山遠征 技術に生きる 技術の現場にて ラングミュア博士のように 企業での悩み 不良真空管への挑戦 アメリカ留学 「束芝」の軍管理化 初の純日本製真空管「ソラ」の開発に成功 研究隣組 終戦、そして日本科学技術連盟の創設 日本学術会議設立のころ 品質管理普及活動 「品質本位」と「統計的品質管理」の違い 織り子から学んだ品質管理 「風合い」の数値化 面接による問題解決 マナスル登山許可の取りつけ 学術探検再開への情熱 ネパール政府の厚意 日本山岳会への委譲とマナスル初登項成功 実現した南極越冬の夢 越冬隊前史 南極に行ったアメリカ人を訪ね歩く 越冬を主張する 氷の中の一年 基地の生活 南極大陸旅行 新しい原子炉への情熱 安全な原子炉をめざして 南極で百科事典片手の猛勉強 原研理事就任 実現しなかった半均質炉 原子力船「むつ」の建造 日本の技術を高めるために 住民との対話 憧れのヒマラヤヘ ヤルン・カン遠征隊長 一〇年目の許可 キャラバン ツェラムの生活 ベースキャンプを訪ねる 計画の変更 登項と遭難 失敗に学ぶ チョモランマ登山隊総隊長 開かれたカーテン 二つのルート チームワークの成果 技術と大自然 私をかりたててきたもの 「技士道」への道 水平線の彼方 Ⅱ 友を語る 若き日の旧友たち(1968) ノッポとチビ・井街 謙 生涯の友・今西錦司(1980, 1974, 1968) 人間性を吹きこんでくれた青春の友・桑原武夫(1988) あたたかな友・渡辺 漸(すすむ)(1985) Ⅲ 対 談 好きな道を行く 井上 靖十鈴木治雄+西堀榮三郎(1985) リーダーの条件 今西錦司+西堀榮三郎(1979) 巨大なテクノロジスト 加藤秀俊+小松左京+西堀榮三郎(1977) 「ヤルンカン」をあやつる負けじ魂 鈴木健二十西堀榮三郎(1985) 氷惑星とノア洪水の謎 高橋 実+西堀榮三郎(1985) 新しいものに臆病な日本人 本田宗一郎+西堀榮三郎(1979) 〔解説に代えて〕 西堀南極越冬隊長 桑原武夫(1959) 西堀榮三郎年譜 あとがき 写真提供者 初出一覧 |
2巻 未知なる山・ 未知なる極地 刊行のことば──人間・西堀榮三郎 序 章 わがフロインド・ベルヒ(1925) 私の自然観(1984) 雪の魅力(1972) 自然(詩)(1962) Ⅰ 山と探検 わが探検的人生(1967) 未知なる山へ 私のスキー事始め(1984) 「雪山讃歌」を作詞したころ(1956) 「山と探検」秘話(1976、1981) 山行記 西堀榮三郎登山概史 編集委員 野呂川荒川谷北俣(1926) 積雪期白根三山初登項(1988) 春の白根 多田政忠(1926) 北岳、間岳、仙丈岳スキー登山 渡辺漸(1926) 春の東沢(1927) 劔岳の束面 高橋健治(1929) 樺太探検(1932) 白頭山登山に成功して(1935) 白頭山・準備について(1935) スキー論 登山用短スキー論(1934) 山スキーの杖の用い方(1934) 技術書を疑う(1934) 冬山のスキー技術に関する討論(1934) 海外の山へ マナスル以前(1965) ネパール紀行(1950) ヒマラヤ遠征記(1975) “険を冒さず”山に登る(1980) 苦難乗り越えたチームワーク(1980) 南極越冬 国境なき大陸(未発表) 越冬隊長記(1983.3.25-4.7) Ⅱ 友を語る ロマンの男・植村直己(1984) より困難な山をもとめて・加藤保男(1985) 山のために生れてきたような男・加藤泰安 南極第一次越冬隊とカラフト犬・北村泰一(1982) 七五歳でヒマラヤ単独行・佐藤テル(1980) 「オケラ五世号」の快挙・多田雄幸(1983) 工ベレストママさん・田部井淳子(1982) 情熱の人・藤木九三(1982) ヤルン・カンに逝った・松田隆雄(1976) 関温泉での憧れの的・村井米子(1989) Ⅲ 対 談 三高時代の思い出 今西錦司+西堀榮三郎(1984-5) ヨットライフの楽しさ 小林則子+西堀榮三郎(1983) 地球は楽し! 多田雄幸+植村直己+西堀榮三郎(1983) 山を愛した年輪 服部謙太郎+西堀榮三郎(1986) 探検における機械と人間 樋口敬二十上田 豊+西堀榮三郎(1972) 〔解説〕西堀榮三郎における登山と探検 本多勝一、大内尚樹 登山・探検年譜 あとがき 初出一覧 写真提供者 |
3巻 技術の想像力と 品質管理 刊行のことば──人間・西堀榮三郎 序 章 技術屋根性(1965) 科学技術の功罪(1985) 開発のための発想法(1975) Ⅰ 技術の創造力と品質管理 科学・技術・人間 西堀カルタ(い~と)(1986) 科学・技術と人間──その未来的展望(1982) ホモ・サピエンスの“発展的解消” (1978) 企業における創造性 西堀カルタ(ち~か)(1986) 組織、一匹狼、そしてチーム(1975) 西堀流企業運営術(1965) 中小企業論(1966) 「信頼による管理」にむけて(1978) チームワークとリーダーシップ 西堀カルタ(よ~む)(1986) アムンゼンとスコット──リーダーの二つのタイプ(1987) リーダーシップの真髄(1985) 自主主義──チームワークの甚本(1981) 参画的解決──これからの経営(1970) 品質管理の真髄 西堀カルタ(う~ま)(1986) 品質管理はいかにして行うか──企業の生脱性向上の ために(1955) 私のQCことはじめ(1983) 性善説に立つ品質管理(1983) レッテルを貼るな(1988) 問題解決の二つの方法(1987) 品質管理は統計的手法で(1986) 「検査」は選別ではない(1987) 設計の品質への期待(1985) これからの企業に望むこと──出米ばえの品質を(1987) 「二項確率紙」について 原田明 研究開発の方法 西堀カルタ(け~き)(1986) 研究は知的分野の探検である(1988) 研究と実用(1961) 研究開発の方法論(1971) 原子力 西堀カルタ(ゆ~ん)(1986) 原子力政策への緊急提言(1979) 核エネルギー協働システムの開発を(1987) Ⅱ 友を語る 「先見の明」の人・森川覺三(1986) 原子力研究所時代の菊池正士先生(1975) 「ワガハイ」と私・森 二郎(1970) 〔補〕カヌー「アメンボウ」の進水まで 武田和忠 Ⅲ 対 談 科学を役立てるのは技術だ 稲葉秀三+西堀榮三郎(1979) ケチらず金を使うべし 小林宏治+西堀榮三郎(1979) 日本の品質管理の将来 唐津 一+H・サラソン+西堀榮三郎(1984) 涙のない男はリーダーたり得ない 平松守彦+西堀榮三郎(1987) 戦後、QCを始めた頃のこと W・E・デミング+西堀榮三郎(1981) 日本人の創造性 西澤潤一+西堀榮三郎(1987) 〔解説〕 西堀流品質管理 唐津 一 半均質炉と溶融塩炉──西堀先生が託した課題 上田隆三 西堀先生と核エネルギー ──来世紀世界のために 古川和男 あとがき 初出一徳 写真提供者 |
別巻 人生にロマンを求めて 西堀榮三郎追悼 刊行のことば──人間・西堀榮三郎 序 章 西堀さんにおける技術と冒険 神話時代の英雄/「雪よ岩よ」/ペミカン/E・E・ニシボリ/臨機応変/デミング賞/ネパール服で/南極のそりイヌたち/『南極越冬記』/溶融塩炉/アジテーター/トンネル計画/ Ⅰ 人生にロマンを求めて 西堀榮三郎(1986) 西堀話術の魅力 稲葉秀三 エテ叔父さん 今西武奈太郎 ロマンチストでスポーツマン 茅 伊登子 夢とロマンに生きて 川喜田二郎(1989) 粘土に現われた西堀さん 北出照治 西堀先生が残された宿題 向後元彦(1989) 四月十三日、「しらせ」の帰還 近藤良夫(1989) 旧友・西堀君の思い出 佐島敬愛(1989) 青年西堀榮三郎 佐藤愛子(1979) 「夜明けのこけこっこになりなはれ」佐橋 慶 「男装で入ったらエエ」篠原孝子 温かい家庭・合理的精神・非権威主義 清水龍男 西堀君の母校・京都一中 下村寅太郎 かけがえのない勇気 鈴木健二(1985) いつでも「新鮮な出会い」田代 空 創意工夫を生む真の人間観 谷沢永一(1989) フランクリンの系統を引く哲学者 鶴見俊輔(1988) 山友だちの父親・西堀榮三郎 堂本暁子 西堀流品質管理の原点・丹後峰山を訪ねて 那須美智 「がっこにいちゃん」 西堀道雄 ボリ・ヴィラと、蝗(いなご)の唐煎り 針ヶ谷 忠 西堀さんから知恵が湧く 樋口敬ニ(1989) 『五分の虫にも一寸の魂』 平澤 興(1984) 西堀さんと私 本多勝一(1989) 偉大なる弥次馬 間下長一 「しっかりやっとるかね」 森田勇造 南極からの祝電 大和鈴鹿 パリのトラブル アルフレッド・ルコック 西堀との想い出 西堀美保子(夫人:今西錦司先生の妹) 父の遺産 西堀岳夫 (長男) いま懐かしい父へのコンプレックス 西堀富士夫5(次男) 下田の海で童心にかえった父 稲葉暁子(次女) 創造性を育む教育方針 西堀峯夫5(三男) 偉い、というよりかっこいい 西堀岳路5(孫) Ⅱ 山へかりたてるもの 西堀榮三郎(1986) 永遠のチャレンジャー 井上治郎 極地に、山に、未知を探り続けた西堀さん 今西壽雄(1989) 西堀武勇伝 太田喜久雄 京都における近代アルピニズムの曙 桑原武夫(1988) 医師として参加したヤルン・カン 斎藤惇生 西堀流創造的生き方 斎藤清明 ダブルブレストのにこやかな姿 斉藤健治(1989) 頼れるおじさま 佐藤テル 日本登山界の大先輩を悼む 四手井網英(1989) すり減ったピッケル 四手井靖彦(1989) サバイバル・センター構想 田口二郎 「平常心、平常心」 田部井淳子 貫かれた純愛 土倉九三 「石橋……」式発想法 藤平正夫 ブータン──進行方向最前列 松井宣也 燃やされた「退会届」 宮下秀樹(1989) カカニのボリ・ヴィラ 宮原 巍 十年目ごとの出会い──西堀さんと私 山田善二郎 ヤルン・カンでの西堀先生 吉野熙道 Ⅲ 南極越冬と涙 西堀榮三郎(1967) 古武士の風格 相沢英之 真の「世界の人」 シデネ・エメリー 常識を破る──西堀氏の真骨頂 北村泰一(1989) N・Nカップリング 木下是雄 昭和基地に届く「家族の声」 作間敏夫 「宗谷」のプリッジで乾杯 田 英夫 「純ちゃん岩」と科学研究委員会 中村純二 「お化け大好きや」 西丸震哉 果たせなかった約束 能勢 順 探検メカニスト・西堀榮三郎 藤田和夫 「やってみよう」 村越 望 西堀先生と植村君 吉田 宏 朗らかな科学者 和達清夫 「役所流」対「未知への挑戦者流」 渡辺兵力(1989) IV 水平線に向かって 西堀榮三郎(1986) 「ヤルンカン」の思い出 伊藤良昌 西堀先生の死、妻の死 大南勝彦 果たせなかった海への恋 大山順彦 西堀哲学伝導の場「ヤルンカン」 黒水恒男 Ⅴ 品質管理の原点 西堀榮三郎(1972) 生産性運動の名アドバイザー 青木幹夫 「宝の山じゃ」 池田信一 先憂後楽、先楽後憂、共に人生 石井榮一 『品質管理実施法』の頃 磯部邦夫 西堀語録 伊奈正夫 越冬隊長就任前夜 大津孝太郎 先生は私の母船であった 大森弘一郎 西堀先生にもらったホームラン 岡 茂男 現場労働者の創造性をこそ 亀井一綱 品質管理の先駆者 茅野 健 データに語らせる 唐津 一 「西堀教室」と日本規格協会 川村正信 百発百中の品質管理 後藤正夫 「西堀流」で理想的な会社づくりを 篠河 進 「異質の協力」の重要性 清水祥一(1989) 新しいものを発見する科学者の目 田口玄一 巨星遷移 武田和忠(1989) 感銘を受けたリーダーシップ 豊田章一郎 西堀先生がミサワホームに託された夢 中村恵二 談笑のうちに花開く心豊かな人生 難波捷吾 「友情は天国であり、生命である」 西野嘉一郎 西堀先生の手形と足形 林 萬直 一升ビンに生卵を詰める 原田 明 QC界の巨頭 廣瀬浩一(1983) 未曽有の啓蒙家 藤井康男 見届けてほしかった推理の正否 増山元三郎 「もったいない」は、環境問題を解く鍵だ 三村啓一 激励と助言 安川太郎 品質管理の哲学者・西堀エテサン シドニー・ルビンスタイン(1989) Ⅵ 技術と科学 西堀榮三郎(1976) 「風船」の話、そして「西堀賞」創出の提言 飯沼和正 技術開発と西堀先生 池田 豊 経験が生む奇抜な発想 井深 大 オートバイに乗せてくれた西堀先生 井街 仁 石油は、隕石の衝突でできた! 沖津文雄 尽きぬ想い出のまにまに 小田切瑞穂 記憶に残る西堀語録 小原正典 「粉人生」の始まり 加瀬 薫(1975) 東芝時代の西堀さん 川村 肇(1980) 不思議な魅力の先生 佐々木 正 耳に残る開西弁 水渡英二 「俺はお前を信頼している」 那須昭一 温情ある偉大な先輩 丹羽四郎 「そりゃよかった、万歳や」納賀勤一 南極の風力発電機 本田宗一郎 西堀先生の遺言 松井 好 「針の山の初登攀をする」 室 博 「これは面白い」 若尾正昭 Ⅶ 安全な原子炉の開発をめざして 西堀榮三郎(1979) 原子力平和利用への開拓者精神 今西錦司(1981) 半均質炉から溶融塩炉へ 上田隆三 身につまされた『百の論より一つの証拠』 佐々木元増 特許をとった安全第一の「小型一流体溶融塩原子炉」 佐藤俊夫(1989) 「静かすぎる環境は研究によくない」 長山泰介 トリウム溶融塩核エネルギー協働システムは二十一世紀の課題 古川和男 深更の鶏鳴 松浦祥次郎 「どや、進んどるか」 矢野淑郎 あとがき 初出一覧 写真提供者 |